屋上の星

第3話 ベントラー、ベントラー


 

 星野さん達はみんな反省文を書かされた。週明けの月曜日には保護者も呼び出しを食らって、随分と長いお説教を受けた。さらには田中先生指導の下、校外マラソンを一週間毎日続けると言う罰も科せられた。ただし、不純異性交遊が確認できないという事で、三島率いる風紀委員会も厳しい追及を続ける事は無かった。正直なところ、不法侵入はじゅうぶん風紀を乱していると思うのだけれど・・・委員会の価値判断はイマイチよく分からない。

 それから、後になってから生徒会長に尋ねたところ、委員会の権限では、二日間停学までの処分なら職員室とは別に、独自の罰則として与えられるそうだ。なんと生徒手帳にも記載されている、学校公認の権限らしい。とんでもない権限である。頑張ってる三島には悪いけれど、やっぱり委員会にはさっさと無くなってもらいたい。

 しかし結局のところ、星野さんがどうしてあんな方法を選んでまでUFOを呼ぼうとしたのかは、誰にも語らなかったそうだ。三島によれば「あの女はどっかネジが抜けてんのよ」だそうだ。確かに今のままでは僕もそう思う。

 駅から学校まで上る坂道は、日が暮れると電灯が点る。けれど、線路沿いにしばらく山に沿って進むと、人気の無い細い裏道が現れた。古びた石段のあちこちから雑草が飛び出していて、家と家の間を縫うように曲がりくねった階段が、ずっと上まで続いている。商店街から響いてくる喧噪や、電車が来るたびに流れる駅のアナウンスと、トンネルから響き渡る列車の走行音。様々な音が家の外壁同士で反射して、方向感覚が狂わされるようだ。音に酔った僕は、何度か立ち止まって自分の足がしっかりと石段を踏んでいることを確認しながら、一歩一歩、階段を上がっていった。

 上りきると、あの夜に二宮が確かに言っていた通り、学校の敷地を挟んで駅と反対側にある、人気の無い道に出た。住宅に面した通りで、普段から使う人もほとんどいない。夜になれば人通りなどあるはずもなく、しんと静まり返っていた。

 探せばすぐに、星野さん達が忍び込むのに使っていた場所は見つけられた。フェンスがちょっと低くなっている箇所がある。確かにこれなら乗り越えやすいだろう。何故か、真新しい土がフェンスにくっついていた。

 辺りを見回して、誰もいないのを確認した僕は、助走をつけてフェンスに飛び乗ると、何とか乗り越えて学校の敷地に入った。

 先週の金曜日、あの日の夜に三島が持っていた『学校防衛作戦』を見たから、ある程度、守衛さん達の配置も頭に入っている。音楽室前の廊下にある窓を見ると、鍵が外されていた。これも二宮が言っていた通り。

 つまりは、処分が下された後も状態が何も変わっていない、という事だ。誰かが侵入しているという状況さえも。

 あの夜よりも若干細くなった月は、しかし前と変わらない夜の色をした光を放っている。廊下は、海と空の境界線にもよく似た、深い藍色に染まっていた。不思議と懐かしい感覚がする。あれから数日しか経っていないのに。

 途中で何度か守衛さんをやり過ごしながら、ようやく僕は屋上に辿り着いた。三島が待ち構えていたらびっくりだけど、さすがのあいつも、今になって僕が忍び込むとは想像もしていないはずだ。

 重たい扉を開いて屋上に出ると、月光が降り注ぐ中に彼女がいた。

 星野輝美は一人で屋上の真ん中に立って、夜空に向けて差し伸べるように両手を広げていた。名前を呼ぼうか、それとも何か別の呼びかけがあるか、考えているうちに星野さんが振り返って、僕の目をまっすぐに見返してきた。そして、にこっと笑った。

「なんでわかったの、マロ彦くん」

 いきなり昔のあだ名で呼ばれて、ちょっとうろたえた。その名前を星野さんが知っているとも思わなかった。

「何となく。もしかしたら、まだ来てるんじゃないかなって思っただけ」

 星野さんはやっぱり笑ったままで、その場に座り込んだ。

「で、やっぱり委員会としては、不法侵入を放っておけないの?」

「僕は委員会じゃないよ」

「へえ、そうなの? でもこの前、三島さんと一緒にいたじゃない」

「あれは・・・」なんて説明したらいいのか。「・・・強引に誘われたというか、脅迫されたというか、何と言うか」

「三島さんってパワフルだからね」

 あれをパワフルなんて言葉で片付けてしまっていいのか。むしろ、獰猛な野獣だ。

「じゃあ、いま一緒にいる所を見つかったらマロ彦くんもわたしと一緒に捕まっちゃうわけだ」

「その・・・マロ彦って言うの、やめてくれないかな」

「でも、君の本名知らないから」

「栗田だよ」

「下の名前は?」

「嘉彦」

「うーん、やっぱりマロ彦でもよくない?」

 何をどう考えてマロ彦のほうがよくなったのだろう。

「・・・うん、まあ、別に何でもいいや。マロでも栗でも」

 僕は近くの手すりにもたれ掛かるようにして座り込んだ。真っ暗な校庭をちらりと見たけれど、怖くなって視線を空に向けた。

「今もUFO呼んでたの?」

「そうだよ」

「何で」

「だって、夢があるじゃない」

 よくわからない。

「わたしの家ってお父さんがいないんだ。子供の頃からずっとそうだから、顔も知らないんだけどね。まだちっちゃい頃には、他の友達にはお父さんがいるのに、なんでうちには居ないのってお母さんに聞いたりしたけど、大人の都合なんて子供に説明できないでしょ、だからお母さんね、『お父さんはUFOに乗って行っちゃった』って嘘ついてたの」

 とんでもない嘘だ。江藤もビックリの嘘の付き方。

「だからUFOを呼んでるの?」

「そう。お父さんに会えるかもしれないでしょ」

 星野さんはちょっと寂しそうに笑った。僕には両親が揃っているから、お父さんに会いたいという気持ちがあまり実感できない。

「前からね、自分の家の屋根に上ってUFO呼んでたんだよ。お父さんが乗ったUFOが来るんじゃないかって。小学生の頃までだったかな? 結局、一度も来なかったけど」

 毎晩、来るはずも無い相手を待っているのはどんな心持だったんだろう。

「それで、何でわざわざ学校に来るようにしたのさ」

「夏休みに新しいお父さんが出来たから、かな」

 短く、さっきよりも早口に彼女は言った。吐き捨てるように、と表現してもいいかもしれない。

「初めて紹介されたのが、夏休みの初め頃。今年中には入籍するみたい。別に今さらお母さんが再婚したって別におかしくないんだろうけど、なんか、何かが違うって思ったんだ。本当のお父さんってどんな人だったんだろうって、今さらだけど、気になっちゃってね」

「わかるよ、その気持ち」

「本当に?」

 実はあまりわからない。実感がわかないから。

「うちの親って、この学校の卒業生なんだってさ。お父さんの事で、お母さんが、私に教えてくれたのはたったそれだけ。この高校で初めて出会って・・・わたしを産んで。でもお母さんだけになっちゃって。わたしはお父さんの事を何も知らないまま。この学校に通ってた事しか知らない。だから、学校はわたしにとっていちばんお父さんに近い場所なの。変な理由かな?」

「うーん・・・いや、いいんじゃないかな」

 星野さんは立ち上がると、また、夜空に向かって両手を広げた。僕の方からは、十字架に似た姿に見えた。

「岩井君が最初に、一緒に来てくれてね。まあ、岩井君ってあんまり良い噂聞かないから、正直ちょっと悩んだんだけど」

「付き合ってたんじゃないの?」

「ああ、そういう噂もあったっけ」事も無げに彼女は言った。「でも、噂は噂。私、まだそういうの興味ないから。映画観に行った事もあったけど、それは、UFO呼びたいなんてワガママに付き合ってもらったから、断りにくくて仕方なく。でも、それだけ。だって、ご飯食べてる最中に次の人との予定入れてるんだから、まともに相手なんかしてたら堪んないよね、ああいうタイプって。遊びだって割り切れる人じゃなきゃダメだと思うよ」

 なるほど、ちょっと安心した。

「マロ彦、あの時に蹴られた所、大丈夫なの?」

「平気だよ。あいつの蹴りは大したこと無かったから」

 あのとき涙が出るほど痛がってたのも忘れて、ついつい強がってしまった。

「頑丈なんだね」

「まあね」

 強がったからには後に引けない。

 星野さんは、踊るようなステップを踏んで僕の隣まで来ると、ひょいっと身をかがめて僕の事を覗き込んできた。

「ねえマロ彦。よかったら今夜だけでいいから、一緒にUFO呼ばない?」

「いいよ。どうすればいい?」

「呼び方は簡単。教えてあげるね。まずは最初に輪を作るの。二人だけでも、円なら作れるでしょ」

 二人で屋上の真ん中まで行くと、お互いの両手を握った。僕よりも一回りは小さい手を握り締めたまま、僕らは二人で大きく手を広げて、小さな輪を作る。

「空を見上げて」

 視界一杯に広がるのは、まばらに煌めく秋の星と、鈍い銀色に輝く下弦の月。

「念じながら、唱えるの。『ベントラー、ベントラー。スペースピープル、スペースピープル、こちら地球です』。簡単でしょ」

 僕らはそれからしばらく、二人きりでUFOを呼び続けた。

 

 

 当然と言えば当然だけど、UFOは来なかった。

「来るわけないよね」

 帰り道。駅まで下りる坂道を二人並んで歩きながら、星野さんはぽつりと呟いた。

「本当はわかってたんだ。来るわけないって」

 それはUFOの事を言ってるのか、それとも、彼女の本当のお父さんの事を言っているのか。あるいはその両方か。

「頭ではわかってたけど、それでも来て欲しかったの」

 やっぱりお父さんの事なんだろう。

「これだけ世界中に空があって、宇宙はその先までずっとあって、見えない星がいくつもあるんだから、一台くらい来てくれててもいいと思わない?」

 あれ、UFOのほうなのか。

「お父さんとも、会えるかもしれないよ」

「そうかなあ? でも、うちにはもう新しいお父さんがいるからね。戻って来ても近付けないんじゃないかな」

 何故か星野さんは笑いながら言った。

「別にわたしも、新しいお父さんが嫌ってわけじゃないんだよね。割といい人だったし。今まで無理してバイトもやってたけど、これからは余裕ができそう。概ね、幸せだよ」

 概ね幸せとはどういう事だろう。やっぱり、幸せと言い切れない部分があるのだろうか。でも多分、それは僕の家でも同じ事で、おそらく三島や江藤や、他のみんなだって同じであって、概ね幸せだから毎日笑ったり泣いたり出来るんだろう。絶対の幸せが続いたとしたら、寧ろ作り物っぽく感じるのかもしれない。不変の幸せに馴れるよりも、毎日が概ね幸せいっぱいならば、そのほうがきっと毎日が楽しいと思う。

 屋上ほど力いっぱい握ってはいないけれど、僕らは確かに手を繋いだまま坂道を下っていた。腕を組んだり寄り添ったりするわけではない、概ね満足。少なくとも間接握手とかいうものよりはずっと良い。

「こうやってさ」

 何を言おうか決めたわけではないのに、僕は話し始めた。

「なんて言うのかな・・・」

 シチュエーションならたくさん考えていたはずなのに、台詞なら星の数ほど揃えていたはずなのに、肝心な時に出てこない。今さらはぐらかして逃げようとは思わなかった事だけが、僕の僅かな勇気だろうか。

「ずっと前から、こうやって、一緒に帰りたかったんだよね」

 精一杯の声を絞り出したつもりだったのに、星野さんの耳に届かなかったのか、なんのリアクションも見せないで彼女は、変わらぬペースで歩き続けている。

「あのさ、星野さん・・・?」

「ん、何?」

 聞こえてなかったのか。

 自分の臆病さが嫌になる。勇気の小ささが嫌になる。

「・・・なんでもない」

「じゃあ、明日から一緒に帰ろうよ」

 事も無げに投げかけられた言葉が、脳みそに届くまでに数秒掛かった。

「一緒に?」

「そう、一緒に。どうせ駅まで一本道だから。ほら、あとちょっとで駅に着いちゃうよ。マロ彦はどっちのホームなの?」

「僕は駅から歩きだよ。商店街のど真ん中に家があるから」

「へー、そうなんだ。いいねえ、学校から近くて」

 いつの間にか僕らの手は離れていた。でも、手よりも温かいものはさっきよりも近付いているんだと思う、何となく。

「わたしはここから、電車で二十分も掛かるの。市街のほうだから。小さな家だけど、今度遊びに来てよ」

 僕は頷いてみせた。本当ならもっと話したいし、聞きたい事だって山ほどある。けれど言葉が出てこない。喉が動かない。以前ならもっと焦っただろう。けれど今は、少し余裕が感じられる。

 駅の改札口で彼女を見送るときに、「また明日」とだけ言葉を搾り出した。

 その一言で充分だった。まだ明日がある。その次にもまた明日がある。山ほどある聞きたい事や、一緒に話したい事は、その明日のためにとっておけばいい。尽きる事は無いだろうけど、焦ることもない。

 ホームに上がる階段を昇る前に、彼女は立ち止まり振り返って、僕に向かって大きく手を振った。周りに人がいるにも関わらず、僕も同じように大きく手を振り返した。彼女の姿が見えなくなるまで振り続けた。

 また明日。もう一度呟く。

 僅かに手のひらに残っていた温もりも、夜風に吹かれて消えていった。

 

(了)     


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